餃子ネコの日記

えっブログ?やってませんけど……

ワンダーフォーゲル

今日は、わたしがにんじんの頭を育てている話です。

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(これは全く関係ない地元のレコード屋さんの入口です)

幼少期から、私の実家のキッチンにはよくにんじんの頭がありました。ゴミとかではなく、ちゃんとお皿に水をためて、まるで育ててある様子で。いつも見るたびに、「お母さんはあれをなにに使ってるんだろう。」と、淡く不思議に思っていました。まあカイワレとかもやしとかも育てて食べたりするし、なにか意味があるだろうと思い、特に聞くことはしませんでした。しかし、年末年始に久しぶりに実家に帰ると例の様子のにんじんがまたキッチンにあったので、ついに母に聞いてみることに。すると「あ~、あれね!かわいいから。」とのことで全く意味もないし、様子がやばくなったら捨ててるんだそうです。そういえばにんじん以外にも我が家にはさまざまに「無駄」があり、そのほとんどが母によるものです。

 

母の教えに感銘を受けたので、わたしの一人暮らしの家でも無駄ににんじんの頭を育てることにしました。少し前までは捨ててしまっていたにんじんの頭を、日のあたるところに置き、干からびてしまわないように水をちびちびあげています。やってみると母の気持ちが大変よくわかりました。かわいい。にんじんの頭をこんなにかわいく思えるなんて。

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言葉の使いやすさから端的に「無駄」と言っていますが、正確には無駄ではありません。わたしがにんじんを愛おしく思い、育てる作業にわくわくしていることには実利とは違った意味があります。やるべきことばかりではなく、やらなくてもいいことをわざわざやることは人生を楽しく過ごすために必要だと思う。同じ理由で、わたしは散歩を2時間したり、わざわざ遠回りをして帰宅したりしています。ダンスや読書のような、共感されやすく趣味として確立したもの以外にもたのしいをつくれる要素を積極的に生かす。にんじん以外にも、無駄をたくさん楽しみたいと思います。10年後のわたしがどれくらい高度な無駄の楽しみ方をしているか、期待していてくださいね。